教養として身につけたいテクノロジー
テクノロジーの進歩が著しい時代。
今回は、玉城絵美さんの書籍「教養として身につけたいテクノロジー」を読みました。
本書の帯には「10年後生き残るための未来予測の視点」との言葉。
私たちは、何を教養として身につけるべきなのか。
必要なのはインターフェース。
本書で強く強調されているのは、「インターフェース」に着目するということ。
なぜなら、人とコンピュータの間でコミュニケーションを取ることは、大きなコストがかかる。
そして、そのコストを減らすことができるものこそ「インターフェース」なのだからだそうです。
今のインターフェースは、コミュニケーションコストをどんどん減らす方向に発展していることを押さえておく必要があるのだと言います。
個人の信用情報。
今は、信用の時代。
「三次元加速度ジャイロセンサー」というインターフェースは、GPSと組み合わせることで「所有者の所在地、挙動から、所有者が正しい行動を取っているか」がわかる可能性があると言われているのだとか。
つまり、それが意味することは「スマートフォンから人の信用情報が取れる」ようになるということ。
クレジットスコア(信用偏差値)が可視化されやすい社会になると、人の信用の元となる「情報」を売り買いする技術が登場すると説明されています。
倫理的にどうなのか?という議論はあるかもしれません。
しかし、パーソナルデータが価値を生むというのは間違いなさそうです。
あらゆる制約が社会からなくなる。
テクノロジーの進歩により、我々が想像できなかった時代がやってきます。
その一つの方向性が「あらゆる制約」からの脱却。
このような時代に、私たちは何をすれば良いのでしょうか。
例えば、英語を例にしてみると、どのように向き合えば良いのでしょうか。
「グローバル社会に備えて英語を勉強する」というものではなく、「インターフェースが変わるから、未来がこう変わる。
私はもっとこんな未来になってほしい。だから私はこうゆう教育を受けておこう」という発想が求められるのだと言います。
こうした視点を持ちながら、教育履歴を作っていくことが大切だと述べらえています。
そして専門家=スペシャリストに対しては、以下のような警鐘を発しています。
私たちは、今やろうとしている仕事や始めようとしている事業が、スペシャリストなのかジェネラリストなのかを確認しなければならない。やくみくも技術習得やスキルアップを追求するだけでは、すぐにテクノロジーによって代替されるスペシャリストになってしまう恐れがあるのだ。
単に専門家になるだけでは、簡単にマニュアル化され代替されてしまうということ。
そうならないために、テクノロジーに向き合って自分の人生をどのように形作っていくのかということを考えることが大切なのでしょうね。