13歳からのアート思考
近年、アートで物事を考えることが重要だと言われるようになってきています。
VUCAの時代は、単にロジックではない、アート的な考え方こそが重要だと。
今回は、末永幸歩さんの書籍「アート思考」を読みました。
末永さんは、
「自分のものの見方」を持てる人こそが、結果を出したり、幸せを手にしたりしているのでは?
と述べられています。
そして、じっと動かない1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるでしょうか?
大人の学びの世界でも「アート的なものの考え方」が見直されているのだと言います。
アーティストがやっていること。
「アーティスト」は、目に見える作品を生み出す過程で、次の3つのことをしているのだそうです。
①「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
②「自分なりの答え」を生み出し、
③それによって「新たな問い」を生み出す
ダ・ヴィンチの「興味のタネ」は、「目に見えるものすべてを把握する」ということ。
「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探究を続ける」というアート思考のプロセスそのもの
「美術」の本来の目的は、このように「自分なりの答え(=雲)」をつくる能力を育むことであると言います
アーティストが成して来たこと。
マティスは、緑のすじのあるマティス夫人の肖像によって「目に映るとおりに世界を描く」という目的からアートを解放したのです
ピカソは、1つの視点から人間の視覚だけを使ってみた世界こそがリアルだという遠近法の前提に疑問を持ちました。
そうして辿り着いたのが、「さまざまな視点から認識したものを1つの画面に再構成する」という彼なりの答えでした
カンディンスキーは、人の心に直接響き、見る人を引きつけるような絵を追求しました。
その結果、「具現物が描かれていない絵」という「表現の花」を咲かせるに至ったのです
「具象物を描かない絵」を生み出したことによって、美術の世界における「作品とのやりとり」への可能性を押し進めた
デュシャンは、それまで誰も疑うことがなかった「アート作品=目でみて美しいもの」というあまりにも根本的な常識を打ち破り、アートを「思考」の領域に写したのです
利休は「視覚で愛でることができる要素」をあえて排除し、「視覚」ではなく、「触覚」で楽しむ茶碗をつくろうとしたのではないか
ポロックは、アートを「なんらかのイメージを映し出すためのもの」という役割から解放しました。
これによって絵画は、「ただの物質」でいることを許されたのです。
ウォーホルは、それまで堅固なものに思われていた「アート/非アート」の垣根を壊してしまいました。
MoMAは「アートという枠組み」がなくなったあとの平野に立ち、「自分たちのものの見方」によって「本当にすぐれたもの」を選び出そうとしているのです。
アートという植物。
興味のタネは、自分のなかに眠る興味・好奇心・疑問
探究の根は、自分の中の興味に従った探求の過程
表現の花は、そこから生まれた自分なりの答え
このように分解される。
表現の花を如何にして咲かせるか。これが一番大事なのでしょうね。
「自分の愛すること」を軸にしていれば、目の前の荒波に飲み込まれず、何回でも立ち直り、「表現の花」を咲かせることができるはずです。そのためには、「常識」や「正解」にとらわれず、「自分の内側にある興味」をもとに、「自分のものの見方」で世界を捉え、「自分なりの探究」をし続けることが欠かせません。そしてこれこそが「アート思考」なのです。